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イギリスの思想哲学家であるカーライルの言葉で「雄弁は銀、沈黙は金」なる至言がある。
一昔の西洋では、銀のほうが価値があったということで雄弁のほうを尊重していたという解釈もあるが、
本来の意味は「おしゃべりもほどほどにしないと、ぼろがでちゃうよ!」ってことだと思う(

「雄弁」か「沈黙」か、どっちが上かなどという二者択一的な問いではない。

どちらも「大事」なのだ。

会話することによって他者とのコミュニケーションが発生し、相互理解を深めたり自分が知らない新たな知識を得たり、精神の安定を得たりと人間活動の根幹を担っているといっても過言ではない。

その一方で、スノッブと揶揄されたり、自分の価値観だけを押し付けて相手を不快にさせたり、一方的な情報で混乱を招いたりと、「争いの火種」にもなりかねない。

100人いれば100人の言い分がある。しかしそれをいちいち口に出していたら、無用な諍いが起きたり、無意識のうちに相手を傷つけてしまったりと関係に角が立ってしまう。

アメリカ流の自己権利主張主義が悪いとはいわない。
でも日本には日本の、お国柄というか民族性というものがある。
個人という独立性に固執しながらも、結局は調和を重んじ自分を滅する気風は、一見アンビバレントで支離滅裂な印象を受けるが、俺は決して嫌いではない。

相手を尊重するという行為は「人ができて」いるからこそできる自律性の高い行為だ。
自分もそうありたいと思うし、そうあるよう常に細心の注意を払いながら自分の言動を監視していきたい。
どうしても譲れない、これは絶対におかしいと思ったら、たまには自分の殻を破って物申すのももちろん有りだ。

「言うべきか、言わざるべきか」その瀬戸際というか分水嶺をしっかり見極めることができる判断力と裏付けされた知性を養うのが優先事項であって、「自己主張が先行する」というのは主客転倒も甚だしい。
万人受けする答えはないけど、よくよく考えて発言された言葉には「力」がある。
「説得力」とは理屈一辺倒でもなければ、言ったもん勝ちでもない。

井戸端会議にしても、一国の命運をかけた対談にしても、自分勝手な解釈で軽軽と論じてしまえば簡単に火がついちゃいます。
雄弁は銀だけど、沈黙(まぁ我慢っていったほうがいいか)することによって値千金の価値を生み出す場合もある。

「だからちっとは黙ってろよてめぇ!!」といいたいわけだ(心の叫び
「100円でも、10円でも安く買いたい」
不況、不況と声高に叫ばれているこの世の中、一円でも安く済ませたいのが「人の情」というもの。その気持ちは痛いほどわかる。
生産者はそんな消費者の心理を敏感に汲み取ってか、「安価で安全、高品質」な商品を生み出していく。
生き残りをかけた同業者同士の熾烈な争いによって、互いに切磋琢磨し、更なる「企業努力」が強いられ、それによって新たなイノベーションが生まれ、文明が発展していく・・。

それが市場原理主義の理想であり、事実僕らの生活は「豊か」になっていった。

子供でもわかるような「理屈」であり、今でもそれが「正しい」ことであると信じて疑わない世の中全体のムーブメントが、廻り巡って自分たちの首を絞める結果となっている。

安価な商品を生み出すためにまず企業が率先して行ったことが、経費の削減であり、流通の合理化であり、賃金の削減だ。
僕らが手軽に入るコンビニも、マク○ナルドに代表されるファーストフード店も、大手量販店やスーパーも、多聞に漏れずそのルールに乗っ取り邁進してきた。
大量仕入れや生産による専制化。非正規労働の増加。情報操作・・。
「お客様は神様」「安いことは正義」であることに、子供の頃から親しんできた僕らは、利便性にかまけて何か大事なものを逸失していないだろうか。

地方の零細企業や、個人経営店、奥地にある村落が、まずまっさきにその淘汰圧を受けることになった。
そんな現状を知ってか知らずか、皆一様に「不況不況」と嘆いている。
その一方では相変わらず「目先のお得」に奔走している。

そんな相矛盾する言動に居心地の悪さを覚えるのは俺だけだろうか・・。
生活の安定を望んで止まないはずなのに、そんな不条理な世の中を加速させている一人だという厳然たる事実に愕然としてしまう。

一部の勝ち組企業や、マスメディアや政治が、こぞってサブリミナル的に僕らに植えつけた「消費マインド」を「正しく」「賢い」ことであると思い込んできた自分に腹が立つし、それを率先して思い込ませてきたやつらにも罪がある。

それがわかったとしても、「今更」方向転換することができないだろう。
無理やり強引に曲げれば確実に脱線し、多くの血が流れることが必須だからだ。
かといってこのまま推し進めていっても、状況は悪くなるばかり。
(「いや好転するきっかけがある!」という人はぜひ教えてほしい)

ネガティブなことばかり書き綴ってしまったが、俺は決してこれを「後退」とは見ていない。逆説的ではあるが、これは一つの「チャンス」なんじゃないかとさえ思っている。
利己的で狭量だった人類の視座が、宙から地球を眺めた宇宙飛行士のように、地球史観的な位置まで高めてくれるのではないだろうか。いや、せめて鳥瞰的にまで・・。
抽象論は鼻で笑われるのが常だが、一笑に付して門外漢を気取ってるやつらのようにだけはなりたくない。

極微な行動ではあるが、自分は極力チェーン店、ファストフード店、コンビニエンスストアは利用しないよう心掛けている。
その行為が正しいか正しくないかという理屈ではなく、自分を感覚的に納得させるために。
毎日毎日、どこかの掲示板で、ツイッターで、新聞で、テレビで
誰かが他人の過失を執拗に糾弾している。
情報のソースの真偽など二の次三の次のようで
自分が気に入らない人・物・事に対する誹謗中傷に溢れかえっている。
教育や政治など社会的な問題であれ、家庭や職場など個人的な問題であれ
規模の大小は違えど、本質にほとんど違いはない。

虚偽に対する義憤?真実の渇望?巨悪を許さない正義感?

俺にはどうも「憂さ晴らし」気分で発言しているとしか思えない。

埋もれてしまうマイノリティーの意見が、ネットの台頭によって発言力を得られたことは喜ばしいことだが、思わず目を疑いたくなるような愚にもつかない浅薄な「意見」まで議論の俎上に上ることに違和感・・というか不快感さえ覚える。

何も「バカ」は発言するなと暴論をぶちまけたいわけじゃない。
専門的な知識を持っている人なんておそらく1割以下なのだから、的確で建設的な意見を具申できるわけがないのだ。
そのことを自覚した上での発言者があまりに少ないことに、ネットへの不信感がぬぐいきれないでいる。
有り体に言えば「謙虚さ」が微塵も感じられない。

みんな何を根拠にそんな「断言」できるんだろ。
みんな何を思って他人を貶すのだろう。

嫌いな相手のマイナス面を探そうと思えばいくらでも探せるように
偏った考えの下で情報を検索すれば、偏った答えしか得られない。

相手を批判することに長けているやつらほど、その矛先が自分に向けられることに恐れを抱いている。理論という頑丈な鎧で武装しているつもりでも、生身は骨川筋衛門(ガリガリってこと)だ。

情報量の多寡で成否を論じるネット世代の僕らには、何か大事なものが欠落しているとしか思えない。
この世代が、いずれ世の中を動かす多数派へと変貌を遂げたとき社会はうまく機能するのだろうか・・。
若き日の数学者藤原正彦氏が、数学の大学教授として単身渡米し
そこで見たこと、感じたことを「数学者」とは思えないほど瑞々しい文体で綴ったルポルタージュ。

はっきりいって、そんじょそこらの作家によるルポよりよっぽど完成度が高いです。

時には感情に振り回されながらも、砂漠に突如現れたラスベガス、見ず知らずの子供と見つめた砂浜に打ち寄せる波、旅の途中で出会った家族、近隣の住民や教え子や恩師たち・・。
若さの特権を最大限活用された、透明感あふれる視線と純粋で粋な感情で全力疾走したアメリカ生活。

優れたルポルタージュには、行ったことも聞いたことも出会ったこともない土地や人の「熱」や「匂い」が感じられるが、本書はまさに優れたルポ特有の空気が内包されている。

最後のアメリカ、日本の高校・大学生比較論だけでも一読の価値あり。
年末年始の特番、皆さんは何をご覧になりましたかな?

笑ってはいけないシリーズやら、紅白やら、格付けやら、年越しライブやら、夥しい数のお笑い芸人がつまらないコントを披露するものやら、話題のスポーツ選手との「戯れ」やら、毎年毎年おんなじような番組ばかりで正直飽き飽き。
ますますテレビ離れが加速する中、元旦深夜のNHK教育番組で「ニッポンのジレンマ」なる討論番組が放送されていた。

どうせまた有識者(といわれる)人たちが、好き勝手言いたい放題して、結局何の成果もない水掛け論的な番組なのかと思いきや、気づいたら番組終了夜中の2時まで夢中で観てしまっていた。

番組の趣旨は、雇用や経済など社会問題を「バブル期以降の次世代を担う若者たち」に的を絞って素人から、各界の一線で活躍する新進気鋭の若者を募り討論するというもの。

切り口が斬新で、既存の型にはまらず、昨今の時代の流れを敏感に感じた社会改革論にはうなずくばかりである。
なんで現政権はこういった抜本的な改革案を採用しないのか・・まったくもって疑問だ。
現行のシステムのままでは近い将来「確実」に破綻することは素人ですらわかっているのに・・。
悲観論でもなんでもなく、これは「ごくごく当たり前」の感覚。

通常、税を徴収し福利厚生などで弱者を手厚く保護するのがセーフティーネットの主題であるはずなのに、日本では逆転現象がおきていて、弱者からお金をとり、強者を手厚く保護するという「あべこべ」で歪な状態が長く続いている。
地方の自治体の集まりなんかも、コミュニティー能力が低く、時間をもてあました男性老人たちのみの話し合いの場しかなく、時代の潮流を見誤った一方的な展開にしかならない。
国会は・・・「言うに及ばず」だ。

この討論番組でももちろん「答え」はでていない。
個人問題から大きな社会問題まで幅広く扱っている分、その隔たりが議論の焦点をぼやかしているという悪循環にはまっていることもしばしば。

しかし、僕らの世代が同じような危機意識を持ち、「なんとかしなければいけない」という気持ちの共有・・絆を深め確認することができるという点で、他の討論番組とは違った「画期的」な番組であったことは確かだ。

ネットの爆発的普及によって「僕らの声」が届きやすくなったのは事実であるが、既存のポリティカルパワーを動かすにはまだまだ力不足。
時代を担う世代が、孤立断絶し、「マイノリティ」のままなし崩し的に世の中を諦観するのではなく、仲間がいるという繋がりの意識を強く持ち、世の中を動かす大きな「力」にならなければいけない。
ネットの匿名性を悪用して、愚痴愚痴文句垂れてるだけじゃ何も変わらない。
プロフィール

Author:めい
あなたは人目の旅人

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