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「辺境ラジオ」最新版がUPされていたので聞いてみた。
(丸さんにはぜひ聞いてほしいです。そして感想を聞いてみたい!

「うー、トイレ離席したいけど聞き逃したくない!」
と思ってしまうほどとてもとてもためになる内容であった。

「競争教育で培われた人格形成が、そのまま地続きで、現在の政治・社会を形成している」
というロジックは前から薄々ではあるが感じていた。

内田樹氏や名越文康氏が明快且つ端的に言語化してくれたおかげで

「あー、やっぱりそうだったんだなぁ」っていう長年抱いていた疑念が腑に落ちた。
憑き物が落ちたともいうべきか。

問題に対する答えが語られているわけではない。

しかし、問題に対する取り組みの姿勢や視点を修正してくれる。

知らず知らずのうちに歪んでしまった骨を矯正される感覚に近い。

寝転がる、階段を上がる、腕を伸ばす、など枝葉末節的な動きはちがくとも
その根本にある土台、骨組みは一緒であると同義で

政治、経済、教育の細かい問題はそれぞれ違っても、根本的な過ちは同じである。

こういった「至極真っ当な考え方」を持っている大人たちが増えなければ
日本の未来はない。大げさではなく本当に。
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自分の子供の将来のため、可能性のため、幼いころから英語を学ばせ、
塾に通わせ、いい大学に通わせることは通俗概念として王道だ。
もはやそれが日本教育の生きる道・・ロールモデル化してしまっている。

どの親に聞いても、十中八九その答えが返ってくる。

この前提条件を無批判的に受け入れていいのだろうか?

子供のいない俺が言うのは結局理想論、絵空事なのであろうか。

最終的に「親になってみればわかる」と、経験至上で言われてしまえば何も言えない。

親は子供より、経験的知識的に豊かであって、それ故に子供たちより「正しい選択」ができる。

本当にそうなの?子供はそれにしたがって盲目的に学べば正しい方向へ進んでいけるのだろうか。

学べば学ぶほど、考えれば考えるほど「わっからねぇ!」と思ってしまう自分は

これが「正しいんだ」なんて断言はできそうにない。

そういう形でしか将来を切り開くことができないシステムにしちゃってるのは
実は俺ら大人たちなんじゃないだろうか・・。

可能性を開かせているつもりで、実は可能性を制限しちゃってるんじゃないだろうか。

あまり手を加え過ぎちゃうと、おんなじような型しか生まれない気がする。

子供って本来的に学びへの渇望があるとおもう。

その奥底に眠ってる渇望を「ちょいちょい」って刺激してあげるだけで
あとは勝手に伸びていく気がするんだけどなぁ・・。やっぱ理想論なのかなぁ・・。
人は自分のちょっとした「成功体験」を驚くほど過大評価しがちだ。

前後には「無数の失敗と挫折」がひしめいているはずなのに、
10の失敗より1の成功のほうが記憶に残りやすい。

その成功例にしがみついて、「こういうものだ」と断定するのは早計であり浅薄ではないだろうか・・。

それらの輝かしい成功例だって、「時と場所」・・つまり「気運」に依るところが大きい。

それを拡大解釈して、似たようなケースに当てはめると「痛い目」にあう。

実際「痛い目」にあっているはずなのに、その傷を抱え込もうとしない。

国家という大きな枠組みでも、個人という小さな枠組みでも「やってることは大体一緒」だ。

成功のロールモデルを見せられて、「それが正しいこと」だと洗脳されてしまってはいないか?

その成功例だって大部分が「現在進行形」なんだ。断片にしかすぎない。

無批判的に成功ルートを選ぶより、ちょっと違うんじゃないかなと
傍系の道を覗いてみるのもひとつの手ではないだろうか。
日記本文をもって、コメントとさせていただきます。


会ったことはないけれど、「この人は信頼できる」と感じる時がある。

「内田樹」や「沢木耕太郎」や「村上春樹」など、誰もが耳にしたことのある著名人の中に
「フクフク丸」という存在も自分の中では重要な位置を占めている。

「正しい、正しくない」という理屈のみに走らず、常に自戒と内省を繰り返しながら
地に足突いた「生き様」に俺は魅入られている。

「地に足突いた」とは、草を分け入り、どろんこに嵌り、風に吹かれ、雨に打たれながら
身体を駆使し、少しずつ確実に歩を進めていく泥臭い姿だ。

他人と協調し生きていくのはめんどくさい。自分を常に抑圧しなければいけないから。
その「めんどくささ」を省いていったら、快適な生活が見えてくるはずなのに
そこにあったものは、どこまで行っても「自分」。おんなじような風景の無限ループ。

丸さんの言う
「仕事や趣味や、生活空間、近所づきあい、とにかく色んな人の色んな良い所、悪いクセを見つけながら、何と何をくっつけたら、また、離したらどんな風な未来になって行くのかをイメージしながらやっている」
という言葉に、俺は未来と希望を感じました(大げさかなw

そんな「チームづくり」に俺も参加させていただければと思います。
日本も、マスコミも、会社も・・
なにかもかもが「気持ち悪く」て仕方がない。

世の中のあらゆる問題は、細い糸を辿っていけばいずれ自分たちとつながっているはずだ。

僕らの選択ひとつひとつが巡り巡って大きな波紋となり、世の中の「風潮」になっていく。

日本政府の体たらくも、メディアの自己保身に走る事実歪曲も、原発の責任問題も、雇用も福祉も教育も・・・
訳知り顔で無自覚無反省的な発言を繰り返す人たちが「あまりに多い」ことに愕然としてしまう。

すべてにおいて責任を持てとはいわない。

そんな清廉潔白で万能な人などいるわけがない。

ただアクションを起こす前に「一呼吸」おいてほしい。

鬼の首をとったかのように、権利や正論を居丈高に・・
暴力的とまで言ってもいいほど声高に主張する僕ら自身は「何者」なのかと。

問題の「本質」を理解さえすれば、門外漢を気取るわけにはいかないはずだ。

人は誰もが「正しい」と思う道を進みたいものだとおもう。

しかし、初めから強い人間などいるわけがなく、時には失敗し、矛盾する言動を繰り返し、他人を傷つけ、自己嫌悪に陥り、迷い苦悩していく。

そういった「非効率的な」プロセスを経ていかなければ成長できないほど、人はまどろっこしく脆弱な生き物だ。

でも、その「まどろっこしさ」があるからこそ、
逆に「強か」な生き物でもある。

僕らは「自分自身」に問い続けていかなければならない。

責任を他人に押し付けていく限り、いつまでたっても・・いくつになっても「問題は解決されない」。

外側に答えを求めていく限り、同じような似たり寄ったりの現象がこれからも続いていくはずだ。

「未来は僕らの手の中」にある。
プロフィール

めい

Author:めい
あなたは人目の旅人

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